無難な文章や言葉であれば、人の心を大きく動かすことはなくても、誰も傷つけないとも考えられています。
私は、それは違うと思います。

何かの主張に対して意見が分かれたとします。
大多数の意見は「順張り」少数派の意見は「逆張り」と言われることもあるらしい。
または、素直な人は「順張り」へそ曲がりな人は「逆張り」と言われることもあるらしい。

ちょっと投資をやったことないので、本当の意味はわかりませんが、株などの例えに使われるらしいですね。

私は逆張りです。
映画とか見てても、(あ~、この映画はあんまり人気でないかもなぁ。私は好きだけど)って思ったりします。常にじゃないけど、よくある^^;

逆張りの心理としては、「人と違う自分カッコイイ」と自己陶酔タイプに多いらしいです。

なるほど、そう見えるんだな。

無難な文章って、例えばある意見があったとして、70%賛成・30%反対だと自分の中で答えが出たとします。
「7割がた賛成なんだけど、ちょっと反対な部分もあるんだよな~」、と正直に言う人もいれば、話をややこしくしたくないと「賛成」としか言わない人もいます。
その70%賛成の中にも色々複雑な理由が何百と何千と実はあります。(今までの人生経験で培った総合意見で判断しているので。)
賛成の理由を聞かれた時は、その中で、人生でよく言われているポピュラーな考え、例えば今までの人生でよく見聞きしていた言葉や考え方、慣れ親しんでいる言葉で回答すれば、無難なので問題にならないだろうって安心感があるんですよね。
でもよく考えると、ちょっとなぁ・・・って思ったり。
だって、何百個と本当は理由があるのに、いっぱい言ったとしてもせいぜい10個くらいしか言えないだろうから。
そこにポピュラーな言葉がないと、意外な言葉を選んだ理由として、何百個の理由を言わなきゃいけなくなるかも。
将来AIが人の心を読んでくれるようになってさぁ、「〇〇さんの賛成率69%、反対率28%、不明確3%、理由は236個。39870文字、原稿用紙100枚分」とか言ってくれるようになったらいいのになぁ。
それで、Aの意見は、精神的な影響を与える可能性があるため、1人でも90%以上反対だと思う人が居たら否決とか、
Bの意見は、建物の改善の意見であり、身体や精神的な影響を与える可能性はないので、半分以上の人が50%以上賛成であれば可決にします。とか。

あと、私は、っていうか私だけじゃないと思うのですが、人が評価する良い人や優しい人や心が美しい人というのが、どこか信用しきれなくて(全く信じてないわけじゃないんですが)将来AIが学力テストとかミスコンテストみたいに、心の美しい人ランキングを数字で順位化して欲しいなとか思ったり。その順位の算出方法は、善意行動・悪意行動だけじゃなく、その人が周りに影響を与えたこと全てを算出して欲しい。私が生きてるうちには無理っぽいけど。

以前、死にたいと打ち明けられた時にとってはならない態度の記事で書いたんですが、

1.話をそらす。
2.批判的な態度をとる。
3.世間の常識を押し付ける。
4.すぐに何らかの助言を与えようとする。
5.安易な励ましをする。

上の5つの態度を取るのは望ましくありません。

かと言って、他の正しい対処方法でも私はダメだったりします。

私は多分、精神的に病んでいる他人を救う方法は、自己犠牲しかないと思っているのかもしれません。
正しくて無難で安全な言葉ではなく、リスクを背負って欲しいと思う。
私だったら、私の持ってる不幸を全部背負ってとか言いかねない・・・。

でも一番は、本音を言って欲しいと思う。

ただ難しいのは、本音が無難な言葉である場合。

ほとんどの人が、過激で他人を攻撃するような言葉を発した時ほど、「本音が出た」と思ってしまう。
必ずしも他人を否定したり攻撃した言葉が本音じゃない時もあるんですが。
勢いで、心にもないことを言ってしまうこともあるし。

例えば、死にたいと思っている人に、「私は死んだ方が良いと思う?本音を教えて。」と聞かれて、「確かに今のあなたの状態とまわりの状態を見た場合、死んだ方が良いかもしれない。」と、「そんなことはない。あなたは生きるべきだよ。」という言葉なら、前者の方が本音だろうと判断しがち。

話が前後し過ぎですみません^^;
話を元に戻すと、何で私が少数派になってしまったか?
・みんながAの流行りの遊びをしていて、自分は仲間外れにされマイナーなBの遊びで慣れ親しんでしまったりとか、
・私が意見をして否定される。→のちに人気者が同じ意見をして肯定される。(人気者の意見は、正しいかどうか関係なく肯定されるんだと人気者を否定しがちな人格になっていく。)人気者=肯定、普通の人=共感、私=否定、疎外という思考が形成されていく。
それと同時に、普通のことを言ってもどうせ肯定されないなら、もっともっと深く考えて普通の人が思いつかないことを時間をかけて答えを出せば、誰も言ったことがない言葉は反応がわからずリスクがあるけど、他人の肯定を得られるかもしれないという人格になっていく。

成長していく過程で、大多数の人たちと違う考え方が形成されていったのかもしれません。
生まれながらじゃないですよ。環境で変わりました。
ちょっと他人のせいにしすぎですが・・・、よく考えてみると結構自分で判断していますしね私。

無難な文章や言葉は、ちょっと退屈でも、みんなが安心して聞けるらしいですが・・・。私には当てはまりません。
「みんな」という言葉に対して私は過剰反応気味ですが、私がこの「みんな」の中に入れてもらえなかったからだと思います。

無難な言葉を聞くたびに、じわじわダメージが蓄積されていくような感覚があります。
この人は無難なことしか言ってくれないんだ・・・。
そうだよねリスク追わなくていい人だもんねって思ってしまったり。
共感できない自分に焦ったり、少し苛立ったりします。
無難な言葉に共感できる「ものわかりのいい自分」を楽しんでいる時もあるんですが。

無難じゃない言葉で、さらにそれが私が共感できる言葉だった時、「私にまで共感できる言葉を届けてくれた!」と感動することがあります。
まぁ長谷川豊さんがそうなんですが・・・。

以前も、過激発言をやればやるほどPVが上がると確信してから、人工透析のブログタイトルで炎上してしまいましたが、今回の部落の記事も、裏テーマを炎上にしようと決めてしまったことが原因だと思われます・・・。
裏テーマを『炎上』にしようと決めました
それから長谷川さんを心配する声が少しずつ増え、丸山さんが炎上した後は次は長谷川さんかもしれないから本当に気を付けてと心配するコメントが沢山あったのに、こうなってしまった・・・。

でも無難を継続してくれている人が多いからこそ、安定した日本で暮らせていられるのもあるしな・・・。
継続って容易じゃないし・・・。