私は時々死にたいと思ってしまうことがあります。
しかし、その時にもう一つ考えることは、「私よりも過酷な状況や人生の人はいくらでもいるのに、何でそう思ってしまうのだろう?」ということです。
己に甘く、死にたいと言って現実逃避しているのか。

それか、環境も関係があるのかもしれません。

日本人に生まれただけでラッキー、だという外国の人も少なくないそうです。
外国ではかなりの貧困生活をして、衣食住もままならない生活の人もいます。
貧乏どころじゃない貧困・・・。日本人にもいますが。

でも衣食住がなくても、生命力が凄まじい人もたくさんいますね。
何ていうか、「希望」なのかなと。
衣食住があれば、きっと楽しい生活になるはず、生きたい、夢を叶えたい。

一方で、衣食住がある生活にも関わらず、死にたいという人も大勢いる。
衣食住があるのに・そんな暮らしが出来るだけでありがたいことなのに・・・。

こんな人生楽しくない、と表現する人より、「死にたい」という人の方が多い気がする。
簡単なことなら言えるんですけどね。「このゲーム楽しくないわ~」とか。
人生が楽しくないと言いにくいのは何故だろう。

人生が楽しくないと言うと、楽しい人生を求めることは傲慢だと思われるから?
楽しい人生にするためには、やはり自身の努力が必要。
そんなことは言葉に出すのではなく、努力して勝ち取るべきであると。
楽しい人生と努力の結晶がイコールだとは私は個人的には思いませんが、楽しい人生にしたいと望むと「努力しなさい」と一蹴されるだけのような気がします。
でも、死にたくない人生を求めることは傲慢ではない。
日本人は、死にたいと思うまで、感情を表に出せない?

死への感情についても、色々あります。
・死にたい
・死ぬのが怖い
・生きたい
・生きていたくない

生きたいのに死にたいと考える人はいないとして、(生きたいのに死にたいと言う人ならいる)
生きていたくないから、死にたいと思う人はいます。
私も20代の若い頃は、そんな感じでした。
失恋したり、人間関係が悪くなったり、いじめられたりする度に死にたくなりました。
こんな顔のせいで・・・、もう生きていたくないと。
にしても、外見のせいにしすぎてた感はあるけど・・・。

若い頃は生きたいという希望を持っていたけど、自分の思い通りの人生にならず、生きていたくないというより死にたいという気持ちになった。
年を取ってくると、生と死を天秤にかけると、死の方が良いと思うようになった。

しかしそれを考え始めると、「死ぬのが怖い」ということも考えるようになりました。
私は「生と死を天秤にかけると、死の方が良いと思うようになった。」けれど、死ぬと人はどうなるのか?

死んだ後、人がどうなるのかなんてことは、誰にもわからない。
私は子供の頃は、いいことをした人は天国に行き、悪いことをした人は地獄に行くと思っていました。
しかし大人になってから思いました。
「人」には感謝されることをしていたとしても、例えば森羅万象、人以外の植物や動物や虫の視点から見ると、人は良い存在なのか悪い存在なのか?少なくとも、地球を支配しているのは人間ですが、人間以外の存在には悪者だと思われているかもしれない。
どちらにしても私は、人目線から見ても天国行きと胸を張れる人生ではないのですが・・・。

それからさらに年をとった私は考えました。
人は死んだら無になるだけではないかな?と。
体はもちろん朽ち果ててしまうけど、心とかも所詮は体の一部であり、消えてなくなると。

けれど人には、いや万物には(?)「魂」というものがあって、輪廻転生をして生まれ変わるという可能性も否定できない。
私は前世の記憶はないけど、生まれ変わり系のドラマや映画はすごく良く見るし、自分でもよくわからないけど、とても説得力があるような気がしてしまう。

はたまた、魂は生まれ変わるのではなく、幽霊となり、この世を彷徨うのかもしれない。
私は子供の頃は幽霊をとても信じていて、夜眠るのが怖かったことが多かった。
今の時代だと、幽霊ものはファンタジーホラー?みたいな扱いのような気がするけど、昭和の時代ではわりとリアルホラーみたいな感じだった。
そして、母が霊感があるらしく(自称だけど)亡くなった母(私から見るとおばあちゃん)がお風呂に入っている時に、「○○~○○~(母の名前)」と何度も呼びかけられたことがあるそうで・・・。

子供の頃は、死ということがあまり考えられなかったし、考えるのが怖かった。
生まれてきたばかりの子が、死ぬことを考えることは、かなり過酷なことだと思う。
けれど、年を取ってくると、生まれて間もない頃にはあふれんばかりにある「希望」というものを、少しずつ叶えたりして消化したり、叶えられず消滅させてしまったりして、希望という感情が少しずつ消えていく。
不幸な人生だったり、自分自身で不幸だと感じる人生だと、希望は一気に失われるかもしれない。
希望という感情が少なくなると、少しずつ「生」への執着が減っていく。
そうすると、年を取ってくると、少しずつ「死」が受け入れられてくるのかもしれない。
少しずつ希望を消化できる人生を送れている人は、幸せな人生だと思う。
私はやっぱり、アラフォーというこの年にしては、希望の少ない人生だと思ってしまう。

でも、毎日死にたい死にたいと思いながらでも結局生きているんだから、楽しいこと考えて生きたいと思っていていいじゃん。
いや、死にたいと思ってるのに生きたいと思おうとしたらしんどいから、やっぱり死にたいとか死ぬことを考えている方がマシだから、これからもそうするか。

う~ん。どっちでもいいか。
心が少しで安らぐなら、もうどっちでもいい。

私の個人的な結論としては、死んだら人は無になるというか消滅して存在自体なくなるんじゃないかと思っています。
天国と地獄は、本当にあるのなら宇宙まで行ける人間なら見つけられるのでは?と思います。
天国の場所も雲の上の空っぽい感じですけど、雲の上は宇宙ですしね。
輪廻転生の可能性としては、本当なら私も前世の記憶があるはずなんじゃないかなと。
ただ、赤ちゃんの頃の記憶もないんですよね。なので、前世の記憶がもしあるとしたら、赤ちゃんの間に忘れたかもしれないんですけど^^
幽霊も、本当にいるとしたら、この長い歴史の中で幽霊が増え続けて、そこかしこに幽霊大混雑ですよね^^;?
でも、それでも死んだら幽霊になってしまうのかもしれない、と考えてしまう自分もいる。
もし幽霊になってしまったら、ものすごく寂しくて退屈な生活になってしまいそう。
こんなに人嫌いの私でさえ、完全に誰とも話せない生活は想像できなくて、ちょっと怖い。
もし私が幽霊になってしまったら、実家に行って母に見つけてもらえないか、ずっと話しかけてるかもしれない・・・。
万が一、死んだ後は幽霊になる可能性があるということも考えて、自分が幽霊になったらどこに化けで出るか周りの人に伝えておこうか?と真面目に考えたりもします。
私が有名ブロガーだったら、死んだら○○の場所あたりをウロウロします。とか書いておいて来てもらおうかなとか。
あっ有名ブロガーじゃなくても、今ならSNSで拡散する手もあるか・・・、ってその手のツイートとか今は規制されてるんでしたっけ。

色々と考えて結論を出しては見たけれど、説得力のある別の答えがあれば、あっさりとそっちに考えが傾くかもしれません^^;
生きているうちに結論は知りようがないとは思いつつも、ついつい考えてしまいますねぇ。