私は中学生の頃3年間、いじめられていました。1990年代後半のことです。
その当時のことを思い出して記録しておこうと思います。
約20年前のことですので、忘れてしまったこともあるかもしれませんが・・・。

一番つらかったのは、いじめられる前

今でもはっきり思い出せるのは、いじめられる予感がした、小学6年生の最後の春休みです。
春休みといえば、宿題もなくて楽しい休みなのですが、この時だけは地獄のようでした。

私は早熟でした。生理も早かったし、小学生の頃は身長も少し低いくらいでしたが、小学6年生の頃にぱったりと伸びなくなったのです。
さらにまだ小学6年生の女子だというのに、体毛も生え始めていました。
残念ながら容姿もお世辞にもいいとは思えませんでした。
多感な思春期の頃の私はすぐに気がつきました。「もうすぐいじめられる」と。
小学生の頃は大丈夫でしたが、中学生活が始まれば、環境が変わるきっかけにいじめられるだろうと思いました。

いじめられる前が一番怖かったのは、どんな恐怖なのか、どんな辛さなのか、全く予想出来なかったからです。
どうやって対策しようか、そのことばかり考えて小学6年生の春休みを過ごしました。

いじめが始まったのは、中学1年生の日直を遅れた時

中学生活がスタートしました。
私の通っていた中学は、2つの小学校の生徒が集まっていました。
クラスのみんなと顔を合わせると、みんな心の中で自分の立ち位置を探っているのが直ぐにわかりました。
この当時ネットがなかったので知りませんでしたが、今調べてみるとそれを「スクールカースト」というそうですね。

誰が1軍、誰が2軍、誰が3軍か探り合っていたのです。
私は3軍で、それも末端だとすぐに自覚しました。

その当時の私の考えていたことは、「出来るだけ、いじめのスタートを遅らせよう」と思っていました。

しかし、意外にも、すぐにいじめのきっかけを自ら与えてしまったのです。

私のクラスの日直は男女ペアで、名簿順でした。
私は、こんな時まで運悪く、クラスのNo.2の男子とペアになってしまったのです。

日直の前日、絶対に何一つ抜かりなくやろうと思っていました。
しかし私は、あろうことか日直を遅刻してしまいました。
日直は早めに学校に行かなければならないのに、私が学校についたのは8時20分頃。
元々私は、どこに行くのにも早めに現場に行く方です。
最近は少しずぼらになってしまってますが、10代や20代の頃は神経質なくらい早めに現場に行ってました。
どうして遅れてしまったのか、今でも思い出せません。
ただ、いじめられる前のこの訳のわからない恐ろしい不安から逃れたかったのかもしれません。
いっそいじめられた方が楽なのかもと・・・。
本能的に、わざと遅れたのかな、と今では思います。

私は登校後、No.2の男子を見つけ、力を振り絞り、なんとか消え入りそうな声で「あ・・・あの・・・」と話しかけると、男子は怒ったような、ニヤニヤしたような顔で「金葉さんもうこんな時間なんだけど~」と言って立ち去っていきました。

男子のいじめられっ子は既に確定していました。何せ容姿が私のように悪い上に、その男子は反抗的な態度だったので、かなり浮いていたからです。
(当時、私はこの男子のいじめられっ子が理解できませんでした。何でいじめを増長させるような態度を取るんだろうと。しかし、悪いことをしているわけじゃないのにいじめられ、それを不服と思うことは当然だと今は思うようになりました。)
女子のいじめられっ子は私に決定してしまったと、この時、確信しました。
まだ4月でした。

ここから長いいじめられ生活が始まります。

小学校の友達から無視される

まずは小学校の友達から無視されるようになりました。
この友達は、中学校に入る前「中学校に行っても、一緒に友達になろうね!」と言ってくれた子でした。
この子も3軍になることは自覚していたようです。
しかしもう一つの小学校から来る女子に、私たちより下がいるかもしれないと望みをかけてもいました。

いじめられないためには、”まずは孤立しないこと”。
その相手として私を選んでくれました。私は心底ほっとし、その子に感謝しました。
運良くその子と同じクラスにもなれました。

ですが、クラスの面子を見て、自覚したのです。
女子で一番下は私で、その子は下から2番目だと。

それでもその子は、私が日直に遅れるまで一緒に行動してくれました。
トイレも一緒に行ったし、お弁当も一緒に食べてくれました。

しかし・・・。
日直当日、No.2の男子はクラスに入ると、No.1の男子と大きな声で、「金葉(私)さん、日直に遅れたんだよね~」と言いました。

私は体が凍ったような感覚を覚えました。
もう、どこを見たらいいかわからない。誰とも目を合わせず、下を見てやり過ごしました。
ひたすら同じ姿勢で、何分もやり過ごしました。

そして休み時間が来て、その子のところに行くと、その子はぷいっと無視し別の子のところに行きました。

(あ・・・。)
(無視されるって、こんな感じなんだ・・・。)

意外と辛くなかった1人の時間

私はいじめられるようになってから、休み時間もお弁当の時間も1人になってしまいました。
すごく惨めでした。一番困ったのは、”どこを見たらいいのかわからない”んです。
ずっと下を向いてお弁当を見たり、窓の外を見ながら、ご飯を食べました。
お弁当を食べ終わっちゃうとすることがなくなってしまうので、ゆっくり食べましたが、みんな20分ほどで食べ終わってしまいます。
一人だけずっとお弁当を食べてると浮いてしまうので、私もそのくらいで食べ終わりました。
すると、残りの時間はすることがない。

トイレに行ってやり過ごしてもいいけど、ずっとトイレに行くと、キモイとか言われそうなので、ゆっくり次の時間の教科書の準備をしたり、ひたすら指を眺めたりしていました。どっちみち「キモイ」と言われましたけど。

それでも、いじめられる前に想像していた絶望的な怖さと比べると、想像よりは辛くなかったです。
友達と話す話題を考えなくてよかったので、楽ではありました。

体育の時間はいつも1人

一番辛かったのは、体育の時間でした。
ペアで体操をするのですが、私はいつも1人。

私の身長は前から3番目だったので、4番の人が私と組むはずなのに、4番の人はしれっと5番の人と組むんですね。
この時もやっぱり私は下を向いてやり過ごしていました。
こういう時、よく先生と組んでた人もいるみたいですが、私は先生と組むことはありませんでした。
嫌だ~ってオーラ出してたからかなぁ^^;
先生と組むくらいなら、1人で下向いてたほうがマシって思ってたから・・・。

いつの間にか男子に影で「はにわ」と呼ばれる

授業中、先生に「金葉さん○ページ読んで」みたいに当てられて、読み始めると、「はにわがしゃべってる」「クスクス」みたいな小声が聞こえるようになりました。
先生も気がついていたはずですが、特に注意はありませんでした。
というか、実は私もなんでかわかりませんが、はにわと影で呼ばれるくらいなら全く嫌ではありませんでした。
さすがに面と向かって言われたら、多分きつかったんじゃないかなと思いますが。

あとそういえば、もう一つ男子に対して困ったことがありました。
”どう呼んだらいいかわからない”のです。
例えば私みたいに、一番下に属している人間が、あだ名で呼ぶことなどもちろんできません。
女子に対しては、全員苗字にさん付けです。
一方男子に対しては、みんな苗字を呼び捨てでした。
しかし私が呼び捨てにするなど、もちろんできる空気ではなかったのです。
かと言って、さん付けもおかしい。
君付けは、もっとおかしい。
結局3年間「あの・・・」でやり過ごしました。よくこれで3年通せたものだ。
あ、でも私から話しかけること自体、滅多になかったからですけどね。

思い出せないことがいっぱい

当時は、すごく辛かったです。
屈辱的なこともたくさん言われたし、日曜日の晩は死にたいと毎週思ってました。
自分がすごく惨めで、母親にどうして私を産んだのって恨んでました。(容姿が母譲り)
この頃の私は、母が大嫌いでした。
でも、今は辛かった思い出が、ほとんど思い出せません。
いじめのことを思い出して辛かった時間は、10年もなかったと思います。

暴力も私にはありませんでした。
男子のいじめられっ子は、時々殴られていました・・・。
彼は今も思い出して辛いのかな・・・?

中学2年の時は、辛さが半分位に

中学2年生の時、Tさんというぽっちゃりとした背の高い明るくて優しい女の子がいました。
その子がすごく親切で、正義感も強くて守ってくれました。
1年生の時のいじめっ子が別クラスに行ったこともあり、中学2年生の頃は辛かった思い出がなかったと思います。
身長が違うので、体育の時は1人のこともありましたが、それでも時々、身長の近い子が一緒に体操やろうと声をかけてくれるようになったんです。
Tさんが、金葉さんも仲良くしよ~って空気を作ってくれたからかなと思います。

私が3年間を乗り越えられたのは、Tさんの存在が大きかったです。

中学3年生は、中学1年とほぼ同じ面子で絶望

中学3年生になって、教室に入った時の絶望感は、今でもよく思い出せます。
Tさんは別クラスに・・・。
でも中学2年生を平穏にやり過ごせて、時間稼ぎができました。
あと365日辛抱すればいい。あの時はそんな風に考えていました。

転校生が2人現れる

中学3年生の時、転校生が2人やってきました。
1人目は、可愛い女の子でした。1軍になれそうな容姿でしたが、おとなしい子でした。
その子は1人でいる私によく話しかけてくれました。私は嬉しかったのですが、少し戸惑いました。
何か”違う”と思ったからです。Tさんが話しかけてくれたソレとは違いました。
上手く言えませんが・・・、なにか物珍しさに興味本位で話しかけてくるみたいな・・・。

結局その子は、2軍の子に話しかけられて、2軍に落ち着いたようでした。
そしてその後、何故だか私を遠くからニヤニヤしながら見て、「キモイー」など言ってくるようになったんです。
何だか汚いものを見るような目で見てくるのが辛かった。
その子のおかげで、中1のころより辛いいじめられ生活でした。
プールの時、「金葉さんパンツ(ショーツかな?)はみ出てるー」って言われて死ぬほど恥ずかしかった。
思わず水着を見たけど、はみ出てなかったし・・・。

2人目は、ちょっとうろ覚えですが、2学期くらいに転校してきた男の子だったと思います。
その男子は、かなりノベーッとした感じの顔で、吃音のようで、ゆっくりしかしゃべれず言葉もどもってました。
1軍の男子がニヤニヤしながら、その転校生を見ていました。
ああ、きっと彼もいじめられるんだ・・・と思いました。

ですが、その男子は、すごく穏やかな子でした。
顔は何ていうか、ドランクドラゴンの塚地さんみたいな顔なんだけど、ニコッて感じの子で。
変にご機嫌取りをするほどでもないけど、どんなに馬鹿にされても、彼の対応は大人だった。
彼は、プロのいじめられっ子なのだろうか・・・?!

彼が転校してきてから、気持ちクラスが穏やかになったような気がしました。
誰よりも私が穏やかになれたかもしれません。

もう一人のいじめられっ子男子も、彼が転校してきてから、少し穏やかになったようでした。

ネットがある今、いじめの辛さは計り知れなくなっている。けれどネットがあるからこそ少し救いもある。

最近のいじめのニュースを見ると、私は胸が張り裂けそうになります。
なぜかというと、私のいじめられていたころの時代は、家に帰れば、いじめから逃れられた んです。
でも今の時代は、家に帰っても、ネットやスマホでいじめの延長戦が始まります。
彼らは本当に、まさに”息つく暇もない”。
私が今の時代のいじめられっ子だったら、耐えられていたか自信がありません。

けれどネットがあるからこそ、少し救いもあると思いました。

私がいじめられていた頃の時代は、本当に誰にも相談できませんでした。
でもネットがあれば、匿名で相談できたかもしれません。
いじめられている女子は私だけじゃない、って心強くなれたかもしれません。

そして、
いじめと戦おう! というサイトの言葉の中に、衝撃的な言葉がありました。

いじめられているということは、実は、すごいことなんです。
もし、あなたをいじめている人が、あなたと立場が入れ替わったら、一週間で自殺してしまうかもしれません。
ふつうの人なら、とても耐えられません。それを、あなたは今日まで生きてきました。

あなたの精神、忍耐力は横綱級です。

自信を持ってください。
「私ってすごい!」「ぼくってすごい!」
そう思ってください。

この言葉を見て、衝撃を受けました。

私がもし、いじめられている時に、この言葉を知っていたなら、どれだけ勇気づけられただろうと。

私はずっと自分がダメな人間で、そのせいでいじめられていると思っていましたが、
私1人vsいじめられっ子以外のクラス全員との戦いでした。
これを中学時代、耐え抜いたのです。

よく考えたら、私ってスゴイじゃん。

さて・・・、こんな私が、
人生大逆転しました!って言えたらいいのですが、残念ながら私は売れない貧乏ブロガーです。

私はこんなんになっちゃったけど、いじめられてた男子2人は今どうなったのかなぁ・・・。