私は「死にたい」という言葉をよく検索します。
どうしてだろう。最初は、この気持ちの解決策があるのかなって答えを求めていました。

沢山の記事を読んだけど、どれもちょっと違うかなと思ってしまいます。
「死にたい」という感情は究極なもので、それに関して他人の意見を読んでみても、自分と少し違うだけで、その意見が受け入れられなくなります。
普段のちょっとしたことなら違っていても受け入れるけど、「死にたい」という気持ちや自分の意見や考え方は、”妥協できない”からかもしれません。

ということは、「死にたい」という気持ちを解決するには、自分で答えを追求するしかないのかな。

私が死にたいと思うタイミングや理由は、若い頃から徐々に変わりつつあります。
中学生の頃はいじめられてたからで、高校以降は可愛い子とブス(自分)への扱いの違いに悲観したからで、20代は失恋した時や、金銭面の不安などです。

そして今の私の「死にたい」という気持ちに一番当てはまるのは、生きる楽しさと生きる辛さを天秤にかけて考えたとき、辛さの方が圧倒的に勝るので、死んで解放されたい と思う気持ちです。

その時私は、「この国に安楽死が認められてたらいいのになぁ・・・。」と考えてしまいます。

それと同時に、「本当に安楽死できる環境があれば、私は死を選ぶだろうか?」とも考えます。
これはそういう環境になってみないとわからないので、考えても答えは出そうにありませんでした・・・。

ただ、死にたいと言いながら死んでない人は、結局そんなに悩んでいないとか、本当は生きたいと思ってるのでは?という意見には反対です。
もちろん、本当は生きたいと思っていても、死にたいと言ってしまうほど苦しんでいる人もいると思います。
でも、死にたいと言いながら死んでいない人は、そんなに悩んでいないからではなく、自殺に対するハードルが高すぎるせいです。
リスクが高すぎるのです・・・。

私の一番の問題点・・・他人を尊敬できない

私自身、尊敬されるのがすごく好きです。なので、他の人も尊敬したいし、尊敬の気持ちを言葉や態度などで表して、誰とでも仲良くしたいと考える方だと思います。
にも関わらず、私は今まで他人を尊敬できたことがありません。
尊敬する気持ちを口にしたら喜んでくれるだろうなと思って、「尊敬しています。」という事はあるんですが、実は心から思えません・・・。

例えば仕事がすごく出来る女性とかには、(今まで何人蹴落として来たんだろう・・・。)
重たい物を持てる人には、(うわー!30キロのを持ってるスゴ~い。でもこんなに小柄で細身なのに25キロ持てる私のほうが頑張ってるんじゃない?)
メイクが上手な人には(私はメイクの腕を磨いても無駄なほどヒドイからなぁ・・・。)
常に目を見て話せるコミュ力の高い人には(私の場合、目を合わせると嫌がられるんだよなぁ・・・。だから私、目を見ずに声室とかで判断したり、声が聞けなくても、しぐさや足音、物を置く音、もっと言えば相手が私のところに来る前に全力で過去の会話や態度を振り返って、相手への私の印象のトータル成績を割り出して相手の機嫌が読めるんだよね。私のほうが頑張ってない?)

常に私のほうが頑張ってると思ってしまう。
普通の人が10の努力をしないといけないところ、私は100の努力をしないといけない。
自分より優れた人を見ても、そういう差があるだけだと思ってしまい、相手を尊敬することができないのです。
(すごいとは思います。)

自分が平均より劣った人間であっても、他人を尊敬することができれば、私は死にたいとは思わないのかもしれません。

私が他人を尊敬できるようにならなければ、死にたい気持ちからは解放されないのだと思います。
でも・・・どうしても出来ない。その選択は辛すぎる。
他人を心から尊敬すること・・・それは、自分が劣っていると認めること・・・。

アラフォーでまだ引きこもっていて、友達も恋人もいなくて、少ない貯金を減らす生活で、外見も悪くて、自分が他人に尊敬されないのはよくわかってる。
・・・でもこのスペックなだけで、頑張ってることまで否定されてしまう。

堂々巡り。
やっぱりこの辛さから解放されたい、という結論になってしまうのです。

だから死にたい。・・・のですが、ただ単に「死にたい」と考えるだけで、少し楽になれたりします。
子供の頃は年を取るのが怖かったけど、今は年を取るのが楽しみになりました。

わかってもらえないのが苦しい

私は一度だけ、いのちの電話にかけたことがあります。
もう5年くらい前のことです。
実は何を話したか、内容はあんまり思い出せません。

何か、「底辺の人生はもう嫌です」みたいな相談をした気がします。
聞いてくれた人は、「そうですか、それは辛かったですね。」と言ってくれました。

でもやっぱり無理でした。
私の人生を助けてくれる人はいないんだ。と思ってしまったのです。
電話1本で求めすぎですよね・・・。

誰かに相談したら、楽になれる・立ち直れるって時期もあったけど、20代までかな・・・。
20代だとか、金銭的に余裕があるとかだと、「大丈夫何とかなるよ。」って相談相手が太鼓判押してくれるから楽になれるんです。

今この状態で相談しても、相談相手が困るでしょう。

誰もわかってくれなくて苦しいので、わかってくれたらいいのに。と私は思うことがあります。
しかし同時に、”私のことだけわかってほしい”なんて厚かましいよね。とも思います。
そう私は、相手に何も与えられないのに、”自分への理解だけ”を求めていることに気がつきました。
私なりに頑張って相手に尽くそうとしても、相手が求めているものを与えられそうにない。そんなスペックがないのだと。

死にたいという感情を解決するのに、私なりに考えた結論は、解決できそうなら方法を探し、解決できなさそうなら解決できないということです。

解決方法がないのに解決策を探そうと抗うと、余計に苦しいです。
無理はせず、気持ちが少しでも楽になれる方法を探すくらいかな、できることは・・・。