これは海外ドラマですね。
母が録画して色んなオススメの海外ドラマを見せてくれます。
これも確か1ヶ月くらい前に見たような・・・。

このドラマは登場人物が沢山いて、それぞれの視点から物語を見せてくれます。
人間関係が複雑すぎてもはやだいぶ忘れていて、所々違うかもしれませんが^^;
例えば私が今回見た話では、夫婦だった元夫コールと、元妻アリソン、それぞれの視点で二人の子供の誕生日パーティーの話が描かれています。

アフェアが面白いのは、同じストーリーでも、それぞれの視点から見ると、微妙に違うところがあるということです。
例えばアリソンは、コールに「今年の子供のバースディケーキは私の手作りをあげたい」と言って、コールは了承するのですが、パーティに行くと、コールの現妻ルイサがすでに用意していました。
コール視点からだと、「手違いだった。すでにルイサが用意していたらしくて・・・、アリソンすまない。」と謝っているのですが、
アリソン視点からだと、誰も何も言ってくれず、アリソンはルイサが用意していたバースディケーキの隣に、自分が作ったケーキを置いています。

でも結局、ルイサが用意したバースディケーキを子供が食べて、アリソンが用意したバースディケーキは、ルイサがアリソンに返すという結果は同じ。

男女の考え方の違いと解釈している人もいて、例えば私から見るとコールは「俺はこれだけしてやってる」とか「俺が言った言葉はどのように周りに影響を与えているのか」という感じの視点。もう一人の主演のノアという男性にもその傾向があるように見えます。
私は女だからか?よくわかりませんが、この男性2人はそういう考え方、そういう解釈なんだなぁと思えました。
一方でアリソンは「私はこれだけ我慢している」「私はこれだけ努力している」という考え方。
これは何かわかるかも。

でもこのドラマでちょっともやっとしてしまうのは、結局どっちの解釈が正解だったのかわからないんですよね。
結果は同じといえど・・・。

例えば、コール視点からだと、子供の誕生日パーティーに、アリソンは派手なグリーン色のワンピースを着てきますが、アリソン視点からだと、地味なブルーのワンピースなんです。結局どっちのワンピースを着ていたのかはわかりません。
コールの記憶通りの格好なら、アリソンはオシャレをしてきたことになるし、アリソンの記憶通りの格好なら、アリソンは控えめな格好をしていったことになります。
人間の記憶なんていかに当てにならないか、いかに自分に見たいもの・覚えたいものだけを記憶しているか、というのを皮肉ったドラマとも言えるんですよね。
この微妙な記憶の差によって、登場人物がなぜすれ違うのかが表現されている感じです。

そして私から見ると、アリソンの方が考え方は近いのですが、あんまり好きになれない・・・。
アリソンは美人なので、なんだかんだ結構なワガママが通っちゃっているように見えるのです。
子供は現妻のバースディケーキを食べているのですが、実はアリソンは子供を放置して半年間連絡なしで失踪した過去があり、それが原因で親権がコールに渡っています。
子供のバースディパーティーへの参加を許可したのは、コール。
現妻のルイサは反対。

ただアリソンは、その子供の前に別の子供を産んでいて、その子は亡くしています。
そのことが原因で、子育てなど色々とトラウマになってしまっています。

コールは今でもアリソンに気持ちがあり、アリソンの家に行ってキスをします。
コール視点からだと、コールからアリソンに激しく体を寄せてキスをする。(壁ドンっぽい感じ?)
アリソン視点からだと、コールがアリソンの手を握って見つめ合ってから、コールからキスをする。
という、コールからアリソンにキスをする結果は同じなんですけど、コール視点だとコールがアリソンに好意を寄せていることだけが見えるのですが、アリソン視点だとお互いに心が通じ合っているように見えるんですよね・・・。

ルイサの「アリソンは身勝手で、アリソンは私からコールも子供も奪っていく」という主張はごもっともなんですが、でも好意を寄せているのは、コール→アリソンだし、っていうか、ルイサの良心や好意をコールが悪用していないかとも見れるし。じゃあルイサが責めるべきはアリソンではなくコールなのかもしれない。
これは、女の敵は女と言われるやつかもしれません。
でも、もしアリソンがコールを誘惑するような行動や言動をしていたら、逆にルイサの言う通りだし、女の敵は女だと言う人はアリソンをよく見てよ!と言いたくなるし。
それを考えると、ワンピースや言動の正解は結局どっちだったのかとモヤモヤするんですね^^;

このドラマは、どう見てもアリソンが周りの人達を引っ掻き回しているのですが、アリソンも子供を亡くし、さらにかつては周りに振り回された結果、今のアリソンがあるので、今時のドラマらしい、悪人と善人がはっきりしていない感じです。

なので、コールがアリソンとルイサをどちらを選んでも、少しモヤモヤしそう。

このドラマを見ていると、幸せが与えられるべき人は誰なのか?よりも、幸せとは勝ち取るべきものなのだというメッセージにも見える。そして誰かが幸せになると誰かが不幸になる。幸せは人の不幸の上に成り立っていると。いや私も見たいものだけしか見てなくてそう解釈しているだけかもしれませんが・・・。

以前、世界から見て日本人は恵まれているのに自殺願望がある人が多いと書いた気がするのですが、その時は「希望が見えないから」と書いた気がします。
でももっとしっくり来るのは、人というのは今よりも不幸になることを恐れているから、かもしれません。
例えば今は不幸でも、「今はどん底。あとは這い上がるだけ。」と思っていれば、人は死にたいとは思わないはず。

今の日本の子供たちとかだと、ネットが普及して、どこにいても気の抜けない暮らし。
一方で、ある意味では今の子供たちは守られすぎているところもあります。
例えば悪いことをしても、「子供だから」と多めに見てもらえたりとか。
私は昔、親の財布からお金を盗んだことがありましたが、当時は長い説教&ゲンコツ&お尻を叩かれるというお仕置きがありました。今だと問題視される?かな?どうなんでしょ、今でも盗みはさすがにこのくらい怒られますかね^^;
子供だからと許されすぎていると、大人になるのが怖くなる。
大人になっても、若いうちは「若者」と呼ばれて多めに見てもらえる。すると年を取るのが怖くなる。
守られなくなった時の自分が想像できないから、もうなってみないとわからないんですけどね。

例えば、お金持ちの人が貧乏になるのを恐れたり、
私だったら貯金が尽きるのを恐れたり、
今の平成時代を生きる人が、ある朝目覚めた時に、大正や明治時代とかにタイムスリップしてしまったら、めっちゃ怖いと思います。

いくら人間の感情が複雑だからって、我ながら説明できてなさすぎな感じですが^^;
う~~ん、自分の考えていることを言葉にすることは難しい・・・。

例えば、
Aさんの不幸レベルは現在30。Aさんは、これからもっと不幸になると思っている。
Bさんの不幸レベルは現在70。Bさんは、この先は現状より良くなると思っている。

AさんよりBさんの方が不幸なのに、Aさんの方が不幸感が強いことになります。

そういえば私は中学生になって、自分がいじめられそうな予感がした時が最も恐怖でした。
実際に自分がいじめられていた時よりも、いじめられる前の方が怖かった。
いじめられていたのは、私と男子2人で、うち男子1人は身体的ないじめがあったので、もし身体的ないじめがあったら、私もいじめられている最中の方が怖かったと思いますが・・・。

今より不幸と自分が思っている状況になった時に、自分が耐えられるかどうかがわからない。
日本人の人生の幸福度は、生まれてきて子供の頃やもしくは若い頃がピークで、そこから下がってきている人が多いから、不幸だと感じている人が多いのかな?世界的に見れば、恵まれているのに。
私も、私から見れば全然幸せなのに、何でそんなに不幸だと言ってるんだろう?という人もいるのですが(そして私も誰かにそう思われているかもしれませんが)多分こんな感じなんですかね。

じゃあどうすればいいのかと言うと、、、なってみないとわからない、ですかね・・・?
怖いと思うのも仕方ないし、絶対に今より不幸になるとも限らない。

でもそれだけじゃない。自分の存在が周りを不幸にしていると感じる人生は辛い。
どうすればいいのかわからず、もう波を少しでも小さくするので精一杯です・・・。