夜中に書いた文章を後から見ると、自分でも流石に引くな・・・と思うことがあります。
こういうネガティブなブログを書き出してからですね。
ネガティブなブログを書いてる人あるあるなんでしょうか?
裏ブログだから好き放題に書くって決めてたものの、一時の気の迷いで書きなぐって、翌日見るとなんだこりゃ・・・とか思ったり。精神不安定な私が睡眠時間を削って夜中に何時間も恨みつらみを書いたら、そりゃそうなるか・・・とも思いながら。
今まで流石にないなと思っていたのは消してたのですが、力作であることには間違いないので、、、ま、前置きが長い。

私は職場での人間関係が苦痛で、
例えば、昨日はAさんとBさんの話を聞いた時にAさんよりに肯定気味だったけど、翌日はBさんに肯定気味にしようなど、毎日綿密に計算していたため日々疲れ果てていました。

この話をネットで知り合った人とかにすると、大体が「そこまでする必要ないよ。気を使いすぎじゃない?」って言われます。

わたし的には「違うの私みたいな底辺の人間には必要なの。」
これしか言えません。もしかしたらものすごく長い説明をしたら説明できるかもしれませんが、この答えを簡単に説明できる言葉が見つかりません。

しかし大体こう言い返されます。
「そこまで気を使われると、逆に周りも気を使うよ。」

だから私は、「人というのは見えないストレスが溜まってるの。私がいつも思った通りに相槌を打ってるとして、それがたまたまAさんばかりだとしたら、Bさんは私の話おもしろくないのかしら?と”なんとなく”感じる。」

職場の人間関係というのは本当に厄介で、嫌な人でも罰を受けない人がいます。
そういう人は、「言葉で説明できない嫌がらせをするか、そもそも職場で大きな権力を持っていて反論できないか」どちらかです。
言葉で説明できない嫌がらせというのは厄介で、言葉で説明しようとすればするほど、自分の被害妄想ではないかと思えてきます。

わかりやすい嫌がらせの場合、人間って意外と怒らず、やんわりと注意・指導をします。
怒って注意する必要がないからです。(ただめちゃくちゃ頭には来ているとは思いますが・・・。)

一方で言葉では説明できない嫌がらせを受けた場合、ほとんどが大きく怒り、どれだけ相手から苦痛を受けたか必死で訴えたり激高する人もいます。なぜならこの場合、自分がどれだけ嫌がらせを受けたかは、怒りの大きさで伝えるしか方法がないからです。
そしてこれがすごくリスキーで、言葉で説明できない嫌がらせというのは、第三者から見ると嫌がらせかどうか判断しにくいです。
訴えている相手は激高していたら、(この人が短気なだけなんじゃ?)と思われる可能性があります。
結果自分の立場がより悪くなるというリスクがあるため、基本的に勝算の少ない嫌がらせに対抗する人はほとんどいません。

職場の人間関係が原因で辞める人は、こういうのが多いのかなぁと思います。

「ブル」という海外ドラマがあるんですが、そのドラマでは、子供の頃いじめにあった主人公が、人の心を読んで裁判の心理戦を操るという内容になっています。
まぁ現実離れしている話ですが・・・。

子供の頃にいじめに遭うと、人の心を読むのは癖になります。
特に私は人よりかなり外見が悪いため、人の心を読むことが生きていくことで絶対に必要でした。
私は、主に相手の反応を見て、好感を持たれたか、嫌がられたかを確認します。
この際、相手の目を見る人がいますが、私のような外見で相手の目を見ると嫌がられるので、基本的にほとんど人の顔は見ません。
話し方、声の大きさや強弱のつけ方、話のスピード、昨日と今日の態度の違い、などで判断します。
話のスピードは結構色々わかります。話し声と話し方を気をつけている人は多いですが、話のスピードに関しては無防備な人が多いです。
昨日と今日の態度の違いについては、例えば、相手が初対面だった場合はあまり気にしないんですけどね。
初対面は頑張ってよく見せようとする人が多いので、今日は落ち着いたんだなぁ位にしか思いません。

私はさらに、相手の態度だけでなく、自分が相手に与えた態度でも判断します。
例えばさっきのように、Aさんの話を肯定気味だった場合、Bさんが少しむっとしたもしくは「ん?」と”感じたかもしれない”と把握して覚えておきます。これは相手の為を思ったり、私が努力していることではなく、”そうしないと気がつかないうちにBさんに嫌われる可能性があるから”です。なので、”覚えておこう”としているわけでもなく、嫌でも頭の中に入ってきます。そして次の日Bさんと話すときに思い出すのです。

そして気遣いはやり過ぎないようにします。
(あらかさまに気を使われて女王様気分を味わいたい人には、わかりやすくもみ手をし、そのノリが冗談半分であって欲しいか、本気のノリであってほしいかも見ながら行います。)
案外、普通の人もやってることかもしれません。もし私と同じ考えの人がいたら、その人が私にどうして欲しいか探りながら状況を見ます。

難しいのは、心が読みにくい人です。
私に気を使わなくていいですよ~というアピールなのですが、”ではお言葉に甘えて”というわけにはいきません。
みんなには心を読ませないよ~、でも底辺のあなたは”わかってるでしょ?”と。
お言葉に甘えると大変なことになります。
心が読みにくい人は、私と同じように相手の心を読むタイプなので、周りの影響を受けやすく、昨日と今日とで考え方まで変わっている人もいます。
一方で、一見わかりやすい人もいるのですが、でもある部分だけは隠しているみたいな人もいますね・・・。

同じ底辺の人もやっかいです。
どちらが下かで醜い争いをし、周りに高みの見物をされたこともあります。
本来一番共感できるはずの相手とは、仲良くなれない社会です。

ブルの主人公は、その特技を活かしていますが、私はこの特技は生かせません。
引きこもってから、その能力がほとんどなくなってきているのと、私は自分が相手にどう思われているかは興味があるけど、他人から人間関係を相談されたときは、ほとんど興味が持てないからです。自分と考えが近い人の場合は興味を持つこともありますが・・・。そんな私がカウンセラーになるとかは無理ですね。むしろ私にカウンセラーが必要と言われそうです^^;

しかし、これだけ愚痴を書かせてもらったのも関わらず、ほとんどすっきりしません。
本題をカスっただけのような歯がゆさです。
言葉にして説明することが難しい感情が本当に多いなぁと思います・・・。
人間一人一人は、そんな簡単に説明できるものではなく、もっともっと複雑ですしね。

ところで最近の私は、人の顔を見て話すこともあります。
嫌がられたなと思っても気にしなくなってきました。年をとったからかな?

そしてちょっと残念なのは、人の心を読むと言っても、嘘を見抜くことはできない事です。
私が磨いていたのは、相手の機嫌がいいかどうかを読み取ることだけなので・・・。